がりがりボードゲームおかわり

ボードゲームに関してがメインです。その他雑記。

ゲームの「運」に関して(そして、ズームバック×オチアイの「ゲーム論」回が面白かった話)

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■「こんなの運ゲーじゃん」という評価

新しいボードゲームをプレイした後に「これって運ゲーじゃない?」という評価をたまに耳にしますし、私も言ったことがあります。

そこで、運ゲーの定義とは何か明確に説明して欲しいと言われたら、なんと答えるでしょうか。

大抵の場合は、「運の要素が強すぎるゲーム」という回答でしょう。

しかし、ボードゲームで運の要素が介入しないタイトルはほとんどないように思えます。

一般的に「実力ゲー」の代表である「将棋」も全く運の要素がないかと言われると難しいところです。

もちろん、「丁半博打」のような完全に運に依ったゲームではないことは感覚的にもわかりますが、先攻・後攻は運で決まりますし、どんなに強いプロ棋士でもプロ同士の対局では「勝率7割」程度が限界です。

今回は、ボードゲームを構成している「運要素」に関して考えてみます。

 

ボードゲームでの「運要素」

A、めくれ運

○裏向きで設置してあるカードやタイルが自分に有利に働くか否か

例:マルコポーロの旅路の契約タイル、宝石の煌めきのカードめくれ、ドミニオンのデッキからの引き、アグリコラのカードドラフト初手など

対応:そのゲームに存在しているカードやタイルのプール(種類)、傾向を知ることで確率計算することができる。つまり「最善手」が存在しうる。

運の感じ方:めくれるカード(タイル)の効果の強さに差がありすぎると「運ゲー」と感じやすい

B、ダイス運(コイントス運)

○単純なダイスの出目やコインの表裏。それ自体はまさしく運。

例:オーディンの祝祭(狩猟ダイスロール)、カタン、街コロ、マルコポーロの旅路のダイスなど

対応:ダイス目自体を操作することはできないが、期待値を考え、それに向けての事前準備・事後対応ができる。つまり「最善手」が存在しうる。

運の感じ方:どこまで事前準備・事後対応で介入できるかによって感じ方が異なる。単純に大きい目を出した方が強い、のようなものは「運ゲー」と感じやすい。

C、他プレイヤーとのインタラクションでの運(特に3人以上でプレイするゲームでのキングメーカー

○他のプレイヤーが自分に有利に動くか、不利に動くか

例:コンコルディアで一位プレイヤー以外がゴールテープを切った場合など

対応:自分以外のプレイヤーのゲームへの理解度が不確定とするならば、ダイス運と同じくまさしく運と言えてしまう。誘導、口先でのヘイト管理など、番外戦術はある。ボード上だけでは「最善手」が存在しえるとは言えない。

運の感じ方:ゲームに対してよりもキングメーカープレイヤーの責任と感じやすいが、インタラクションが強いゲームだと必然的に起こりやすく、より(特定プレイヤーを対象として攻撃行動を取れる所謂マルチゲームなど)明確化されていると「運ゲー」と感じやすい

D、自分の指した手が意図を超えて効果を発揮する運

ボードゲームでの行動すべてに言える

例:バラージで序盤適当に置いたダムが終盤活躍するなど

対応:なし。

運の感じ方:自分に対して「ラッキー」と感じることはあっても、あくまでも自分で指した手なので、ゲームに対して「運ゲー」と感じることはない。ゲームに意図的に組み込まれるというよりも、ゲームの複雑性に応じて自動的に発生する。

 

ボードゲームに存在する「運」要素は大まかに上記の4つに分類できるのではないでしょうか。

どんなに強いプロ棋士でもプロ同士の対局では「勝率7割」程度が限界なのは、すべての分岐パターンを考慮する(読み切る)ことは不可能で「D」の要素を否応なしに含んでからであると考えられます。

 

■「偶然性のからむゲームの方が実力差がハッキリ出る」の解釈

「偶然性のからむゲームの方が実力差がハッキリ出る」というフレーズを耳にしたことはあるでしょうか。

言わずと知れた天才棋士羽生善治は麻雀の達人との雑誌の対談で発言したとされます。(一次情報源は見つけられなかったので、正確ではありませんが)

本人がどういう意図を持っていたかは正確に推し量ることはできませんが、私は「不確定な要素が重なると不確定×不確定×不確定……と分岐の枝葉がどんどん増えていく(多様化していく)ため、実力差が出やすくなる」と解釈しました。

例えば、DCGであるハースストーンに発見」という人気のキーワード能力があります。

「現在のカードプールから条件とクラスに適したランダムなカードが3枚提示され、その中から1枚を選ぶ」(引用元:用語集 - ハースストーン日本語Wiki HEARTHSTONE MANIAC能力です。

DCGならではの能力で、膨大なカードプールの中から3枚が提示されるのですが、かなりランダム要素が強いと言えます。しかし、トッププレイヤーは現在の状況(盤面、相手の体力、自分の体力、相手のハンド、自分のハンドなど……)を考慮しカードプールの中から効果的に働くカードがどのくらいあるか(もちろん、「効果的」の程度にもムラがあります)を期待値を感覚的に割り出し、「発見」カードを使うべきか他のカードを使うべきかを瞬時に天秤にかけて判断しています。

もちろん、相手の手を読む際に相手に「発見」が使われる可能性も考慮しなくてはいけません。その場合も当然膨大なパターンを考えなければならず、それができるかできないかで実力差が出る、といった解釈です。

 

■ズームバック×オチアイの「ゲーム論」

www.nhk.jp

現在、NHKEテレ)で毎週金曜日22:00~22:29で放送されている「ズームバック×オチアイ」の「ゲーム論」の回を見ました。

コロナ禍で一層盛り上がりを見せる現実の代替え(仮想空間)としてのゲームの発展やその危うさ、過去からの変容など紹介した後、番組の終盤に、ゲーミフィケーションについて語られていました。

ゲーミフィケーションとは、ゲームにおける報酬システムなど「人を夢中にさせる仕組み」をマーケティングや労働に取り入れることです。

近年の代表的な例で言いますと、お使いミッション感覚で労働ができる「Uber Eat」が挙げられます。

そして、ゲーミフィケーションに期待されているのは「社会課題の解決」だと番組では述べられます。(例:河川ゴミ拾うならオンラインで?ゲーマーを巻き込む、新感覚の社会貢献 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

しかし、落合陽一氏はゲーミフィケーションケーションだけでは解決しない課題があるとし、それは「格差の是正にはつながらない点」だとしました。

結局「ステーク(実績や資産)」を持っている者が強く、それがないとプレイヤーにすらなれず、いいアイディアや努力を1から積み上げてもステークを持つ者に勝てないのです。本当は検討されるべきアイディアも見向きもされなくなってしまい、アイディアのバリエーションも減ってしまいます。

ゲーミフィケーションの真価が発揮されるのは、プレイヤーのゲームの条件が整った時です。

そこで、落合陽一氏は「全勝する人がいないというのは超フェア。どんなに不利な人でも3割くらい勝てる」運(Luck)をどれだけ入れるか」と述べます。

これも本人の意図通り正確に解釈することは難しいのですが、通常では大企業(ステーク)が優先され見向きもされないアイディアを「運要素」を入れることでステークに打ち勝てる可能性を持たせることがアイディアの多様性を生み、社会課題の解決にも繋がる(それ自体が格差是正にも繋がる)、ということだと私は思いました。

これは、実際のゲームにおいてもどれだけ「運」の要素を入れるかは面白さに直結している部分があると思うので、逆輸入的に「人を夢中にさせるゲームの条件」を示しているようで興味深かったです。

 

■おわりに

上記の通り、ゲームにおける「運要素」は展開の多様性を生み、人々を夢中にさせる、なくてはならないものだと思います。

一方、自分のプレイによる介入ができない「運要素」が大きすぎるゲームは一般的には好まれません。

「運要素」をどう調理するかが、ボードゲームデザインの肝を握っているといっても過言ではありません。

 自分の好みのゲームがどのようなものか、「運要素」の尺度で見てみるのも楽しいかもしれませんね。

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