【雑記】「やさしさ」に関して
■BRUTUS 2021年 9月号 No.945 「やさしい気持ち。」
8月発売のBRUTUSは「やさしい気持ち。」特集でした。
ネットで見かけたそのあまりの大掴みなテーマが気になり、普段買う習慣はなかったのですが、思わず書店へ向かいました。
読んでみますと、ハッキリとした実態がない「やさしい」に関していろんな人が論じていて興味深かったです。「やさしくなるため」の具体的なメソッドがあるわけではなく、いろんな角度から「やさしい」の輪郭に触れようとする内容でした。
確かに、改めて考えると「やさしい」とは一体なんなんでしょう。
最近は、辛い思いをしている人に、逃げちゃえばいいんだよと声を掛けてあげることは「やさしい」ととらえられると思います。でも、生活の中で本当にそうなのかな?と自問する場面もあります。
あなたは何もしなくていいですよ、そこにいるだけでいいですよ、と言ってあげたり、自分にそういう意識を持つのは優しさなんでしょうか。
今回の特集にも寄稿したしまおまほさんは記事への補足として以下のようにツイートしています。
甘やかしとやさしさは違う…という。自分のこと、誰かのこと、相当甘やかしてた。それってやさしさと真逆でした(記事への補足として) https://t.co/d0U2HCbe8w
— しまおまほ (@mahomahowar) 2021年8月20日
甘やかしとやさしさの差はどこにあるんでしょうか。
特集の中のしまおさんに記事の中でも明文化されているわけではないですが「シンプルで見返りを求めないナチュラルな行為がやさしさ」となんとなく読み取れます。(気になる方は是非記事を読んでみてください。)
今回は、この特集に感化され、今の私が考える「やさしさ」について考えてみたいと思います。
■「まとめない、やさしさ。」
今回のBRUTUSの特集の中で、一番印象的だったのは文学者の荒井裕樹さんとライターの九龍ジョーさんの対談「まとめない、やさしさ。」でした。
この対談は、今の日本は「キャッチフレーズ社会」であると指摘します。
そして、世の中が効率化していきわかりやすいキャッチフレーズ(例えば、「LGBT」「ダイバーシティ」)で世間の雰囲気が調整されている、立場が弱い人も一人一人生きていてそのディテールを伝える・知ることは大切なのに合理化によりそれを伝えるメディアがとても少ない(その中でも本というメディアはまだその余地がある)と述べます。
これにはかなりの納得感がありました。「まとめサイト」全盛の時代ですし、自分を含めみんな手軽にまとまった情報が欲しいと隙があればスマホを触ります。
先日書いた「【雑記】クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園を観て、ボードゲームも「青春」だなと思った話 - がりがりボードゲームおかわり」の中にもありましたが、効率化の中で削ぎ落ちるものが大切なことの場合もある、という感覚は持って生活したいものです。
■「大豆田とわ子と三人の元夫」と「ルックバック」のやさしいメッセージ性
先日、ジャンプ+で突然藤本タツキの長編読み切り「ルックバック」が公開され、大きな話題となりました。
その際、今年の4月~6月に放送されていた坂元裕二脚本ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」との設定が似ている、という指摘がSNSで少しありました。(パクリだというキツめ言葉は見かけず、「ルックバックを読んだら大豆田とわ子を思い出した」といったような内容がほとんどでした)
私も、「ルックバック」から「大豆田とわ子」を連想した一人でした。
もちろん、女の子の主人公二人が漫画家を目指す設定の一致はあるのですが、私が連想したのは作品が描こうとしている「メッセージ性」についてでした。
「ルックバック」では旧友が亡くなってしまったことを自分のせいだと責める主人公が、そうでなかった世界線の旧友からの「落とし物」に勇気づけられ、また漫画を描き始まるというお話でした。
「大豆田とわ子」では親友が亡くなってしまった主人公と、その親友に密かに恋心を抱いていた主人公の元夫の二人が、その死を引きずる様子が描かれます。そして、主人公は元夫に「3人で生きていこうよ、かごめ(親友)のどんなところが好きだった?」と提案し、二人は納得します。
私がこの二作に感じたのは「たとえ死んでしまった人とも時間や時空を超えて、影響を受けながら一緒に人生を歩むことができる」という共通のメッセージでした。
これはすごく「やさしい」メッセージであると思います。
■具体的な「やさしさ」
最後に、私が最近意識している具体的な「やさしさ」を紹介いたします。
それは、人とコミュニケーションを取るとき、「100回言われてそうなことをいわない」ということです。これは「やさしさ」だけではなく「面白さ」でもあると思います。
例えば、初対面で名刺交換をした時相手の名前が「木村拓哉」だったら、ほぼ全員が「キムタクと一緒ですね」と指摘すると思います。ただ、これは本人からすれば人生でさんざん言われ、ウンザリしている可能性があります。そこでせめて私くらい言わなくても良いのではないかと思い、そうするよう心がけています。
これが正しい行いなのかはわかりませんが、しばらくは続けてみようと思っています。